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東京地方裁判所八王子支部 昭和50年(ワ)1181号 判決 1979年4月24日

原告

小田洋子

ほか一名

被告

入江弘志

主文

1  被告は原告小田洋子に対し、三八九万九、六九一円及びこれに対する内金三五四万九、六九一円については昭和四八年一一月一〇日から、内金三五万円については昭和五四年四月二五日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告西村利子に対し、一九四万四、八四五円及びこれに対する内金一七七万四、八四五円については昭和四八年一一月一〇日から、内金一七万円については昭和五四年四月二五日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告らのその余の請求を棄却する。

4  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの、その余を被告の各負担とする。

5  この判決は第一、二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告小田洋子に対し二、〇〇〇万円、同西村利子に対し一、〇〇〇万円及び右各金員に対する昭和四八年一一月一〇日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故

訴外小田正則は、次の交通事故により傷害を受けた。

1 日時 昭和四八年一一月九日午前七時四〇分ころ

2 場所 東京都武蔵村山市三ツ木一、〇一一先路上

3 加害車 普通乗用自動車(多摩五め六二九九号)

4 右車両運転者 被告

5 態様 正則が普通乗用自動車(多摩五五た一二四八号)を運転し、右2の場所で停止中、被告がその運転する加害車を右正則運転車両の後部に追突させた。

(二)  責任原因

本件追突は被告の前方不注視の過失に基づくものであり、また被告は加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたのであるから、被告において民法七〇九条及び自賠法三条のいずれによつても、本件事故に基づく損害を賠償する責任がある。

(三)  正則の損害

1 傷害

正則は本件事故によつて頸椎捻挫、腰椎捻挫、外傷性内耳障害等の傷害を受け、事故当日より昭和四八年一一月二六日まで大聖病院、同日より昭和四九年三月三〇日まで福生病院に各入院し、福生病院においては、嘔気、嘔吐、眩暈、頭痛等のむち打症状が発現し、これに対する治療を受けたが、同症状はその後同年四月一日から同年九月五日までの間の福生病院、同月六日から同年一〇月二五日までの間の立川病院における各通院治療によつても治癒するに至らなかつたのみでなく、同症状持続中これを基因して正則の精神状態が悪化し、既に同年夏には慈恵医大附属第三病院において神経症と、同年一二月七日には東青梅病院において不安神経症兼高血圧とそれぞれ診断され、後記自殺に至るまで同病院に通院して、右神経症等に対する治療を受けた。

2 自殺

正則は昭和五〇年三月二八日午後二時四〇分頃福生市福生二、三四七番地一の二三号所在の自宅のベランダにおいて、不安神経症にてんかん様発作が加わつたため自殺を企図し、縊死を逐げたが、右自殺と本件事故との間には相当因果関係がある。すなわち、正則は、本件事故前、勤務先の訴外多摩西ナシヨナルクレジツト株式会社においても極めて優秀な社員であり、異常な言動は一切なく、正則の父母、兄弟等近親者にも精神異常者はいなかつたところ、前記昭和四八年一一月二六日福生病院に入院の際の検査において脳波に異常が認められ、昭和四九年一月頃から抑うつ傾向が現われ、同月一七日には自殺を図つてナイフで自己の左前膊に長さ約七センチメートルに及ぶ自傷行為をなし、同年三月及び五月には強度の不眠、焦燥感、不安感や嘔気等に悩まされ、悲観的、絶望的となつてよく泣いたり、また部屋の中をいつたりきたり、左下肢の異常感覚の部位をしきりに手で叩き、全身を小刻みに震わせるなどの異常行動がみられるようになつた。そして昭和五〇年三月二三日には「俺はもうだめだ」と泣きながら包丁を首にあてて自殺を図つたりしたが、同月二六日以降には、けいれんを伴うてんかん様発作も現われた。右病状や異常行動等の経過に照らせば、正則の自殺の直接的原因となつた不安神経症、てんかん様発作は、本件事故に基づく頸椎捻挫、後頭部症候群等の傷害が惹き起したものであることは明らかであり、したがつて本件事故と自殺との間には相当因果関係があるというべきである。

3 傷害及び自殺等に基づく損害は以下のとおりである。

(1) 治療関係費 三八万六、一〇〇円

右内訳

イ 治療費 六、一〇〇円

正則は治療費として立川病院に二、二〇〇円、東青梅病院に三、九〇〇円を支払つた。

ロ 入院雑費 七万二、〇〇〇円

前記のとおり大聖病院における入院日数は一八日間、福生病院におけるそれは一二六日間であり、右入院一日につき雑費として五〇〇円を支出した。

ハ 入院付添費 二八万八、〇〇〇円

原告洋子は正則の入院中同人には付添つたので、入院一日につき二、〇〇〇円の付添看護料相当額が正則の損害である。

ニ 通院雑費交通費 二万円

正則の立川病院等への通院回数は五〇回であり、右一回につき四〇〇円の雑費交通費を支出した。以上イ、ロ、ハ、ニの合計三八万六、一〇〇円

(2) 休業補償費 二三〇万七、〇七二円

正則が本件事故による受傷のため、事故当日から自殺に至るまでの間勤務を休まざるをえなかつたことにより受けられなかつた給料、賞与の減額分

右内訳

イ 本件事故当日の昭和四八年一一月九日から同四九年三月一五日までの一二七日間の欠勤に対するもの(事故前三箇月間の収入合計は三五万〇、〇〇九円であり、この一日当たりは、三、八四六円である) 四八万八、四四二円

ロ 昭和四九年三月一六日から自殺した昭和五〇年三月二八日までの二九〇日間の欠勤に対するもの(昭和四九年三月一六日昇給したため、これを基準とした三箇月間の収入合計は四五万三、八五〇円であり、この一日当たりは四、九八七円である。) 一四四万六、二三〇円

ハ 賞与減額 三七万二、四〇〇円

賞与の支給において昭和四九年上期分は二〇万二、〇〇〇円、同年下期分は一七万〇、四〇〇円が減額された。

以上イ、ロ、ハの合計二三〇万七、〇七二円

(3) 逸失利益

イ(主位的請求) 三、〇七二万七、七七五円

本件事故と正則の自殺との間には相当因果関係があるから、被告は正則の死亡による逸失利益を賠償すべきであるところ、同人の死亡時の年齢三二歳、就労可能年数三五年間、ライプニツツ係数一六・三七四、昭和五二年四月以降の年収三一二万七、七〇〇円(月収一九万四、七〇〇円、賞与上期三七万六、〇四〇円、同下期四一万五、二六〇円)、生活費控除四割としてこれを算出する。

3,127,700×(1-0.4)×16,374=30,727,775

ロ(予備的請求) 一、八四三万六、六六五円

仮に右因果関係が否定されるとしても、正則は本件事故により労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表による後遺症第七級三号に該当する不安神経症、てんかん様発作の後遺症が残存しており、その労働能力喪失率は六〇パーセントとするのを相当とするところ、この場合の逸失利益は、主位的請求の場合と同様の就労可能期間、年収等にしたがい、同請求の逸失利益算出の式に〇・六を乗じた式によつて求められる。

(4) 正則の前記入通院に対する慰藉料 二〇〇万円

(5) 前記(3)ロの予備的請求の場合における、同項記載の後遺症に対する正則の慰藉料 八三四万円

(四)  原告小田洋子の損害及び正則の損害賠償債権の相続

1 相続 原告洋子は正則の妻として、正則の損害賠償債権を相続分三分の二の割合をもつて相続した。

2 正則の死亡に対する原告洋子の慰藉料 四〇〇万円

3 葬儀費用 三〇万円

原告洋子において正則の葬儀費用として支出した。

4 弁護士費用 二〇〇万円

被告は任意に本件損害賠償金を支払わないので、原告洋子は原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起追行を委任し、報酬として右金員を第一審判決言渡時に支払う旨を約した。

5 正則の本件損害賠償債権中、原告洋子が相続した額は

イ (前記(三)3(3)イの主位的請求の場合)前記(三)3(1)、(2)、(3)イ、(4)の各金額合計三、五四二万〇、九四七円に右1の相続分三分の二を乗じた金額二、三六一万三、九六四円

ロ (前記(三)3(3)ロの予備的請求の場合)前記(三)3(1)、(2)、(3)ロ、(4)、(5)の各金額合計三、一四六万九、八三七円に右相続分を乗じた金額二、〇九七万九、八九一円

(五)  原告西村利子の損害及び正則の損害賠償債権の相続

1 相続 被訴訟承継人小田住江は正則の母であり、正則の損害賠償債権を相続分三分の一の割合をもつて相続したが、同女は本訴訟係属中の昭和五一年一一月七日死亡し、住江の子原告西村利子が同女の右債権を全部相続した。

2 正則の死亡に対する原告利子の慰藉料 二〇〇万円

3 弁護士費用 一〇〇万円

原告利子が原告ら訴訟代理人に対し、前記(四)4と同様の経緯、趣旨のもとに支払を約した報酬である。

4 正則の本件損害賠償債権中、原告利子が相続した額は

イ (前記(三)3(3)イの主位的請求の場合)前記(四)5イの合計金額三、五四二万〇、九四七円に右1の相続分三分の一を乗じた金額一、一八〇万六、九八二円

ロ (前記(三)3(3)ロの予備的請求の場合)前記(四)5ロの合計金額三、一四六万九、八三七円に右相続分を乗じた金額一、〇四八万九、九四五円

(六)  結論

1 したがつて原告洋子が被告に対し有する損害賠償債権の総額は、逸失利益についての主位的請求の場合は、前記(四)2ないし4、5イの各金額合計二、九九一万三、九六四円、逸失利益についての予備的請求の場合は、前記(四)4、5ロの各金額合計二、二九七万九、八九一円であるところ、本訴において原告洋子は被告に対し右いずれの場合においても内金二、〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四八年一一月一〇日から支払ずみに至るまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 また原告利子が被告に対し有する損害賠償債権の総額は、逸失利益についての主位的請求の場合は、前記(五)2、3、4イの各金額合計一、四八〇万六、九八二円、逸失利益についての予備的請求の場合は、前記(五)3、4ロの各金額合計一、一四八万九、九四五円であるところ、本訴において原告利子は被告に対し右いずれの場合においても内金一、〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四八年一一月一〇日から支払ずみに至るまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)、(二)の各事実は認める。

(二)  同(三)1の事実中、正則が慈恵医大附属第三病院及び東青梅病院において、原告ら主張の疾病の診断を受けたことは認めるが、その余は不知

(三)  同(三)2の事実中、正則が自殺したことは認めるが、右自殺と本件事故との間に相当因果関係があることは否認する。その余は不知。本件事故と正則の自殺との間には相当因果関係はない。すなわち(一)本件交通事故に基づく示談交渉は、正則と被告が保険契約をしていた訴外大東京火災海上保険株式会社との間において順調にすすめられ、ほぼ諒解点に達していた。(二)本件追突事故の衝撃の程度は極めて軽微であつた。(三)正則は、本件受傷後、岸中外科医院において、頸部捻挫、胸部背部挫傷との診断を受けたが、X線検査、神経検査の結果によつても特に異常所見は認められなかつた。(四)その後の大聖病院、福生病院、慈恵医大附属第三病院、立川病院、東青梅病院における診断においても交通外傷が原因とされる症状に乏しかつた。(五)正則は本件事故以前においても、しばしば激しい頭痛や嘔気に見舞われ、東青梅病院でくも膜下出血の疑いがあると診断され、青梅市立総合病院においては脳動脈瘤の疑いのもとに、約一箇月間入院治療を継続していたことがあつた。また昭和四七年二月二二日頃東京大学医学部附属病院において脳波検査を受けて、散発的徐波が中心頭頂導出でみられ、過呼吸でも同様で、境界領域と判定されていた。(六)本件事故後も、福生病院における入院治療によつて正則の頭痛は軽快し、東青梅病院においては、昭和五〇年二月以降は殆んど高血圧に対する治療が主であつて、神経症状は軽快し、同人は同年三月三日から復職して二〇日まで正常に勤務した。以上の諸事情に照らせば、正則の自殺の原因は、本件事故または被告に対する不満等にあつたものではなく、むしろ、本件事故以前からの原因不明の頭痛や嘔吐、高血圧等の疾患に厭世的になつて、発作的に自殺をはかつたとみるのが至当である。

(四)  同(三)3(1)ないし(5)は不知。なお(3)ロにおいて、正則の死亡後の期間を対象として、その逸失利益を算出しているのは、不合理である。同人は任意の意思で自殺したのであり、原告ら主張の後遺症を前提としても、その期間は自殺によつて確定したものである。

(五)  同(四)の事実中、1の相続関係は認め、2は争う。3の葬儀費用は、その額の点を除き、原告洋子が支出したことは認めるが、額は不知。4は不知、5は争う。

(六)  同(五)の事実中、1の相続関係は認め、2は争う。3は不知。4は争う。

(七)  同(六)の1、2は争う。

三  抗弁

被告は正則に対し、休業補償金七五万二、〇〇〇円を支払つた。

四  抗弁に対する原告らの認否

不知

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因(一)、(二)の各事実及び正則が自殺したことは当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第三号証によれば、右自殺は昭和五〇年三月二八日午後二時四〇分頃福生市福生二、三四七番地一の二三号所在の正則方自宅のベランダにおいて縊死をもつてなされたことを認めることができる。

二  右正則の自殺と本件交通事故との間に相当因果関係が存するか否かの点につき以下に判断する。

(一)  本件交通事故の状況

前記争いない請求原因(一)の事実のほか、成立に争いがない甲第一八号証の三ないし七、乙第一号証、第六号証の一二、原告小田洋子本人尋問の結果によつて真正に成立したことを認めうる甲第一六号証及び被告本人尋問の結果(一部)を総合すれば、被告は、前記加害車を時速約五〇キロメートルで運転進行中、助手席に置いてあつた弁当が落ちそうになつたので、これを直そうとして、前方注視を怠つたため、前方に停止中の前記正則運転車に気付いたときは既に遅く、急制動の措置をとつたが自車を約四メートルに滑走させた後正則運転車後部に自車前部を激しく衝突させ、正則運転車の後部バンパー等を損傷させたが、右追突の衝撃により、正則は胸部後頭部等を強打し、瞬時、失神状態に陥つたことを認めることができ、被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できないし、乙第二四号証の記載中「意識消失<一>」とある部分は、それが瞬時の失神状態をも否定した趣旨のものであれば、前顕甲第一六号証、及び第一八号証の六に対比して信用できず、他には右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二)  傷害等

前顕甲第一六号証、第一八号証の六、原本の存在及び成立に争いがない同第五ないし第七号証、第九、一〇号証、成立に争いがない同第八号証、第一二、一三号証、第一八号証の八、乙第八ないし第一三号証、第二〇ないし第二五号証、原告小田洋子本人尋問の結果により真正に成立したことを認めうる甲第二号証の一、及び第一七号証、被告本人尋問の結果により真正に成立したことを認めうる乙第一七号証の一、四、右成立を認めうる甲第二号証の一と同第二号証の三、四の各印影の対照により、その同一であることが肯認できるので、全部真正に成立したものと推定すべき同第二号証の三、四、証人塚本光夫及び同丹羽信善の各証言、原告小田洋子、同西村利子及び被告各本人の尋問の結果を総合すれば、正則は本件事故後直ちに立川市内の岸中外科において診察を受け、頸部捻挫、胸部背部挫傷との診断のもとに一応の処置を受けてから勤務先の訴外多摩西ナシヨナルクレジツト株式会社に赴いたが、早退して自宅で安静にしていたところ、吐気、眩暈の症状が現われ、右事故の三日後である昭和四八年一一月一二日大聖病院に入院し、頸部捻挫傷との診断を受けたが、頸部頭部胸部痛、吐気の症状は治癒しないまま同月二四日退院し、同日福生病院において頸椎捻挫、腰椎捻挫、右外傷性内耳障害と診断されて、同月二六日から同病院に入院したこと、右入院中、著明な頭痛、吐気は継続し、同年一二月頃から昭和四九年三月頃にかけて後頸部の痛み、眩暈、耳鳴り、眼底の痛み、不眠、高血圧等にも悩まされて、精神状態は、神経症が疑われるほど、極めて不安定となつたこと、しかし、右症状にも軽快の兆しがみえ、同年三月下旬に二、三日自宅に戻つてみた状況から環境を変えて、自宅療養による方が効果が良いように思われて同月三〇日退院し、同年四月一日以後通院治療を受けていたが、時に軽快の場合もあつたが、全般的に精神不安定、不眠、吐気、頭痛の症状は頑固に持続していつたこと、同年七、八月に慈恵医大附属病院に通院し、同病院において心身症との診断を受け、同年九月五日まで右福生病院における通院治療をも継続した後、翌六日から同年一〇月二五日まで立川病院において、頸部挫傷、後頸部症候群の診断のもとに、嘔気、頭痛等の症状に対し、通院治療を受けたこと、しかし、仕事や症状に対する不安、焦燥感が次第に昂じ、左下肢全般に異常感覚が現われ出し、同年一二月七日東青梅病院において不安神経症兼高血圧症との診断を受け、以来同病院に通院し、治療を受けていたところ、昭和五〇年二月下旬頃には、殆ど毎日一回位左下肢全般の異常感覚を伴う激しい焦燥感、苦悶が強く現われ、これが二、三時間続き、この発作時には異常感覚のある左下肢を自分の手で叩いたり、足踏みしたり、全身をふるわせたり、室内を歩き回つたりして静座不能の状態を呈し、この発作は昼夜の別なく出現し、夜間の場合には睡眠が妨げられるのであつたが、同人においては常に病気が治らないのではないか、将来仕事ができなくなるのではないか、苦悶の発作がまた起るのではないかという不安を抱き、気分は抑うつに傾き、何を食べても美味と感じなくなつていたこと、そして、同年三月上旬、一時右症状は軽快したかにみえたが、同月二〇日頃からは、再び激しい頭痛に見舞われ、同月二六日からけいれんを伴わないてんかん様発作が加わり、いまだ同病院において通院継続中の同月二八日前記自殺に及んだこと、正則には、一時に軽重はあつても、昭和四九年一二月頃以降左下肢異常感覚、焦燥感、不安感、抑うつ、頭痛、味覚減退、全身震頸、苦悶、右側高音性難聴等の精神及び身体障害が後遺障害として存していたこと、なお、正則は右福生病院、立川病院等に通院中、症状の軽快時には勤務先会社に出赴いて仕事をしたが、嘔気、頭痛等の症状に悩まされて、仕事に従事するより欠勤する方がはるかに多く(昭和四九年四月一六日から同年九月一五日までの間において一〇五日間、同月一六日から昭和五〇年三月二八日までの間において一五四日間欠勤)、殊に昭和五〇年に入つてからは、一月及び二月の殆どを欠勤し、三月三日から出勤したが、同月二一日以降再び休んでいたことを認めることができ、乙第一五号証、第一七号証の五、六は右認定を覆えすに足りず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

(三)  本件事故前の健康状態等

前顕乙第二五号証、成立に争いがない同第二六号証、証人塚本光夫の証言、原告小田洋子及び同西村利子各本人尋問の結果を総合すれば、正則は、中学及び高校生当時はスポーツマンで明るい性格の持ち主であり、昭和四六年七月以降前記多摩西ナシヨナルクレジツト株式会社に勤務する間、多少高血圧気味のところがあつたほかは、格別健康を害したこともなかつたが、昭和四七年一月二六日頭重の前兆の後に、突然激しい頭痛と嘔吐、左半身のしびれと脱力感、左眼窩部の鈍痛に襲われ、翌二七日も同様の症状が現われて、同日、東青梅病院院長塚本光夫の紹介を得て、青梅市立総合病院において診察を受け、同病院に同月三一日から同年三月八日まで入院し、精密検査とともに頭痛、嘔気等に対する治療を受けた(当時も血圧は少し高かつた)こと、右入院中、東京大学医学部附属病院において検査を受け、脳波検査の結果は、散発的検波が中心頭頂導出でみられ、過呼吸でも同様で、境界領域と判定され、かつ、右聴力低下等を指摘されたこと、しかし、青梅市立総合病院を退院する際は、脳波は正常であり、頭痛も殆ど消えたが、同病院や同病院を紹介した時点での東青梅病院は、いずれも正則の右症状に対し、明確な診断が下せず、原因として、動脈瘤、内分泌ホルモンの異常、胃炎、腺熱、糖尿病またはくも膜下出血等様々なものを疑つていたこと、また、右退院後、同年三月一一日からは、東青梅病院において食欲不振、胃部膨満感等に対し、限局性腸炎の診断のもとに、昭和四八年三月までの間に一〇回程通院治療を受けたこと、しかし、右青梅市立総合病院退院後本件事故発生までの約一年九箇月は、殆ど休まず勤務を継続していたことを認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(四)  以上認定の事実関係に証人塚本光夫の証言を総合して検討すれば、正則には本件事故前の昭和四七年一月突然襲つた激しい頭痛、吐気等を伴う原因不明の障害のほか、右聴力低下、軽度の高血圧の障害があつたが、右頭痛、吐気等は本件事故に至るまでの約一年九箇月の間鎮静の状態にあつたところ、本件事故によつて蒙つた頸部頭部胸部背部腰部等の捻挫傷を契機に右聴力障害、高血圧を含め事故前の諸症状が、右捻挫傷に直接基因する諸症状とあいまつて、悪化、持続化の状態を呈し、それらが時に軽快のときもあつたが、全体的に長期にわたつて著明に発現していたため、正則自身の真摯な社会復帰への努力にも拘らず、精神状態の失調を来し、やがて高度の神経症に進展し、かつ神経症の諸症状にあわせて右事故を契機に増悪された諸症状が後遺症として持続する間に遂に右諸症状に絶望的となり、前途を悲観して自殺するに至つたものと解することができる。

もとより、正則が神経症に罹患したことについては、一般的に正則の体質、性格、環境等様々の要因の影響を否定し去ることはできないであろう(乙第一九号証参照)が、前記認定の本件事故の態様、事故の前後における正則の症状の推移、治癒状況等にかんがみれば、本件事故によつてもたらされた影響は多大であり、仮に、本件事故による受傷がなかつたならば、正則は本件の神経症に罹患することはなかつたものと推認できるし、右神経症にまで推移発展していつた経過も、異例のものとも解せられないから、右神経症の罹患と本件事故との間には相当因果関係があるものと解すべきである。右認定判断と異る証人丹羽善信の証言は採用できない。

しかし、正則の自殺と本件神経症もしくは本件受傷、ひいては本件交通事故との間に相当因果関係があつたことは、たやすくこれを肯認できない。けだし、前顕乙第二五号証及び証人塚本光夫の証言によれば、正則に対し、昭和四九年一二月七日以降、治療を継続中であつた東青梅病院においては、自殺の六日前までの診察においても、正則の症状に格別の変化を認めず、従前と同じ処方の治療をなし、殊に右時点は、前記認定のとおり正則が出勤を継続できずに、欠勤を始めた二日後でありながら、担当医師は全く自殺の危険性を予測できないところであつたことを認めることができるのであつて、右事実に前記(二)及び(三)の各認定事実をあわせ検討すると、正則の自殺は神経症や後遺障害等による苦痛、苦悶からまことにやむをえない結果としてなされたというよりは、同人が右疾病や障害等が容易に全快し、あるいは軽快状態に固定しないことに前途を悲観し、発作的に、任意の意思に基づき図つたものであり、右疾病や障害等との間には通常、一般の因果関係に立つものではないと解するのが相当である。前顕乙第二二号証、第二五号証、証人塚本光夫の証言によつて真正に成立したことを認めうる甲第四号証、同証人の証言(一部)、原告小田洋子及び同西村利子各本人尋問の結果によれば、正則が昭和四八年一二月一六日頃から昭和五〇年三月頃の間に何度か自己の手を傷つけたり、窓から飛び降りようとしたり、夜間自宅脇の線路に坐り込んだりしたこと、また前途を悲観し、「駄目だ」といつては泣いていたこと、昭和四九年一二月二一日の診察時に、正則は担当医師に対し、かつてのように自殺を考えたりすることはないと述べていることなどが窺われ、右事実は正則が自殺念慮を抱いていたことを推認させるものではあるが、しかし、右各証拠及び前記(二)の認定事実を仔細に検討すると、右自殺念慮は継続的なものでなく、その場の一時的なものにとどまるものであつたことが十分に窺われるのである。証人塚本光夫の証言中、正則の自殺と本件事故との間の因果関係を肯認する部分は、自然的条件関係の存在をいうにとどまり、相当因果関係を肯定した趣旨のものとは解されず、他には、右認定判断を動かすに足りる証拠はない。

三  損害

ところで被告は本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害を賠償すべきものであるが、前記二(四)に説示するとおり、正則が本件事故後各種の症状に悩まされるについては、本件事故前における正則の疾患の影響を全く否定することはできないのであつて、本件事故による受傷を契機に正則に生じた後記認定の財産上の損害については、右疾患の影響によるものとして、同損害からその二割を減じた残余をもつて、右相当因果関係の範囲内にあるものと認め、被告に賠償責任を負わせるのが相当である。

(一)  正則の損害

1  治療関係費

(1) 前顕甲第九、一〇号証、第一二号証、によれば、正則が立川病院、東青梅病院に治療及び診断書等の費用として合計六、一〇〇円を支払つたことを認めることができる。

(2) 前記認定のとおり、正則は大聖病院に一三日間、福生病院に一二五日間入院していたところ、正則の傷害の程度等に照らし、右各入院期間中一日五〇〇円合計六九、〇〇〇円を下らない入院諸雑費を支出したことを推認できる。

(3) 原告小田洋子本人尋問の結果によれば、正則の妻洋子は、右大聖病院入院の全期間の昼夜、福生病院入院の全期間の昼間と、午後九時まで正則に付添つて看護していたことを認めることができるところ、正則は前記認定の傷害の部位、程度及び右原告本人尋問の結果により推認される付添看護の必要性等を勘案し、大聖病院入院期間一日について二、〇〇〇円合計二六、〇〇〇円、福生病院入院期間一日について一、五〇〇円合計一八万七、五〇〇円の付添看護料相当額の損害を蒙つたものと認めるべきである。

以上(1)ないし(3)合計二八万八、六〇〇円

2  休業損害

(1) 前記二(二)の認定事実及び前顕甲第二号証の三、同号証と甲第二号証の二の各印影の対照により、その同一であることが肯認できるので全部真正に成立したものと推定すべき同第二号証の二及び原告小田洋子本人尋問の結果によれば、正則は本件事故当日の昭和四八年一一月九日から同四九年三月一五日までの全期間の一二七日間を欠勤し、右欠勤一日につき三、八四六円の割合による給料合計四八万八、四四二円の支給を受けなかつたことを認めることができる。

(2) 前顕甲第二号証の一、三及び四及び原告小田洋子本人尋問の結果によれば、正則は昭和四九年三月一六日から自殺した昭和五〇年三月二八日までの間において二九〇日間を欠勤し、右欠勤一日につき四、九八七円の割合による給料合計一四四万六、二三〇円の支給を受けなかつたことを認めることができる。

(3) 成立に争いがない甲第一一号証、乙第三八号証、証人細井昭男の証言によつて真正に成立したことを認めうる乙第七号証によれば、正則は賞与の支給において、昭和四九年上期分につき二〇万二、〇〇〇円、同年下期分につき一七万〇四〇〇円が減額されたことを認めることができる。

以上(1)ないし(3)の合計二三〇万七、〇七二円

3  ところで前顕甲第一一号証、乙第七号証原本の存在及び成立に争いがない乙第三七号証、成立に争いがない乙第三四ないし第三六号証、被告本人尋問の結果により真正に成立したことを認めうる乙第一六号証、第一七号証の三及び被告本人尋問の結果によれば、正則は被告から休業補償金の内入れとして合計五五万円、訴外大東京海上火災保険株式会社から昭和四九年上期の賞与減額分二〇万二、〇〇〇円の支払をうけたことを認めることができる。

4  そうすると、前記1及び2の各損害中、被告が賠償の責に任ずるのを相当とする額は

(1) 前記1(1)ないし(3)の合計二八万八六〇〇円からその二割を控除した残額二三万〇八八〇円

(2) 前記2(1)及び(2)の合計一九三万四、六七二円からその二割を控除した残額一五四万七、七三七円から、内入のあつた五五万円を差し引いた残額九九万七、七三七円

(3) 前記2(3)の昭和四九年上期賞与減額分二〇万二〇〇〇円からその二割を控除した残額一六万一六〇〇円全部に、同賞与減額分として支払のあつた二〇万二〇〇〇円中右金額に満つるまでの分を充当し、その剰余の四万〇四〇〇円を、同年下期賞与減額分一七万〇四〇〇円からその二割を控除した残額一三万六三二〇円に充当した残額九万五、九二〇円

以上(1)ないし(3)の合計一三二万四、五三七円である。

5  正則の慰藉料

ところで前記二(一)及び(二)に認定の正則の傷害の部位、程度、神経症及び後遺障害の内容、程度、治療経過その他諸般の事情に、本件事故前の正則の疾患が、本件事故後の正則の症状に影響を及ぼしていることを否定できないことをあわせ考慮すると、正則が本件事故後自殺に至るまで、傷害、神経症、後遺障害等により蒙つた苦痛を慰藉するため被告において賠償するのを相当とする金額はこれを四〇〇万円と認める。

(二)  その余の損害賠償請求について

原告らは正則の損害として通院雑費交通費として二万円を請求しているところ、前記認定の通院に伴い正則が交通費を支出したことは十分推認できるが、その請求の内容が全く特定されていない(前顕乙第一七号証の三によれば、被告は正則に対し通院タクシー代として合計七万五、〇〇〇円を支払つていることが認められるところ、右請求はこれによつては補填されない別箇のものかは明らかでなく、その他その内容は本件全証拠によつても不明である。)からこれを肯認し難い。また、原告らは正則の死亡後の主位的請求としての逸失利益、葬儀費用、正則の死亡に対する原告ら固有の慰藉料等を請求するところ、前記二(四)説示のとおり、本件交通事故と正則の自殺との間には相当因果関係が存しないのであるから、被告に対し正則死亡の責任を問いえないのであり、したがつてその死亡の責任を追及する右各請求はいずれもこれを認めることができない。また、原告らは逸失利益の予備的請求として、本件交通事故と正則の自殺との間に相当因果関係がないとしても、同人の後遺症による労働能力一部喪失に基づく逸失利益は、自殺なかりし場合の本来の就労可能を前提として算出すべきものとしてこれを請求するが、正則の自殺につき責任を問いえない被告との関係においては、正則の就労可能は自殺の時点までであつたとみざるをえないのであるから、右予備的請求も採用できないのである(なお、右慰藉料請求には、原告らの正則の受傷、神経症、後遺障害等に対する慰藉料請求が含まれるとしても、前記認定の諸事実に照らし、原告らが正則の右受傷等によつて、同人が死亡した場合に比肩すべきか、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けたとも認め難いのでこれまた、肯認できない。)

四  相続

原告らの正則に対する相続関係については当事者間に争いがないから、原告洋子は法定相続分三分の二の、原告利子は被相続人住江の法定相続分三分の一の各割合をもつて正則の権利義務を相続または承継取得したものと解すべきところ、原告洋子は前記正則の損害賠償債権(前記三4及び5の合計)五三二万四、五三七円の三分の二である三五四万九、六九一円を、原告利子は三分の一である一七七万四、八四五円をそれぞれ取得したものである。

五  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは原告ら訴訟代理人に対し本訴の提起追行を委任し、報酬を支払う旨を約しているものと認めることができるが、本件事案の内容、訴訟の経過認容額等の諸事情に照らし、本件事故による損害として被告が賠償すべき弁護士費用の額は、原告洋子に対し三五万円、原告利子に対し一七万円と認める。

六  結論

よつて被告は、原告洋子に対し、前記四の三五四万九、六九一円と前記五の弁護士費用三五万円合計三八九万九、六九一円及び右三五四万九、六九一円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四八年一一月一〇日から、右三五万円に対する原告洋子がその支払を約した日と自陳する本判決言渡の日の翌日である昭和五四年四月二五日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告利子に対し、前記四の一七七万四、八四五円と前記五の弁護士費用一七万合計一九四万四、八四五円及び右一七七万四、八四五円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四八年一一月一〇日から、右一七万円に対する原告利子がその支払を約した日と自陳する本判決言渡の日の翌日である昭和五四年四月二五日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告らの本訴請求は右の限度でこれを認容すべきであるが、その他は理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木健嗣朗)

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